私には障害があります。
左半身が思うように動きません。
まったく動かないわけではないので、クラッチ(杖)を使って歩いたりは出来ます。
でも、長い距離は歩けません。
イオンとかの買い物の途中でバテます。
イオンのいいとこは休憩できる所がいっぱいあってすごく助かります。
なので、しょっちゅう休みます。笑
左手が最も動かしにくく、大好きなゲームも一苦労です。笑
右半身も前の様には動いてくれません。
右手はゲームのボタン連射が幼稚園生並み、
いや、負けるかも。
右足も筋力も低く、使い過ぎるとぷるぷるします。
部活とかで階段ダッシュを何度も繰り返したらなるアレです。
膝どころか足が笑います。<小鹿かっ!ってくらいに。
障害者になる前は?
中学校1年の冬休みまでは健常者でいさせてもらってました。
小学校は皆勤で風邪もほとんど引かない超健康体だった。
それまでは、うわべだけの友だちも多く本当の友だちが見えてませんでした。
ラブレターも何度かもらった事があります。
逆告白も。。。今では、惨めな武勇伝。
そんな私が地獄に転がる間もなく真っ逆さまになる。
ざまぁ!ですよ。
それでは、どうぞ。
異変は音もなく突然に・・・
中学1年の冬休みの事。
毎年、わが実家の正月は親戚が集まって新年を祝います。
そんな12月30日の夕方に異変は起きました。
正月にしか会わない叔父から「タバコ買ってきてくれ。おつりはやるけん。」と言われ、喜んで家を飛び出した。私。
家の周辺は田んぼや畑がぽつぽつ残る田舎だったので人通りは都会に比べると少ない。
走るのが割と得意だった私は、さっそうと出かけたのですが、家を出て2~3分した頃に体に異変が起きました。
「あれ?」と思った瞬間!ズザザーッ!と豪快に転んでしまった。
近所に女の子の友だちもいたので見らたら恥ずかしっ!!!と思い、すぐに起き上がり、その場から逃げる為に猛ダッシュ!しようと。。。
でも、今度は明らかにおかしく、5歩も走らないうちに、頭の上から紐で吊るされた人形の足の様に変な動きをし、一回転して転んだ。
訳もわからずムカつく。
何これ!もー!
顔は守ろうとして手ついたり肘も血だらけ。
もうタバコどころじゃない!帰ろう!と諦め、早歩き・・・
それでも転ぶ、歩いても・・・
一歩一歩ゆっくり歩いてもなぜか転ぶ・・・
だんだんと悲しくなってくる。
だれか助けて・・・
行きは2~3分だった道が遠い・・・
泣いてる姿を見られたくなくて下を向くので、コケるときは一回転してしまう。
泣きながらもやっとのことで帰り着いた。。。
すでに多くの親戚が集まっていたので、みんなに泣いている姿を見られたくないという思いが強くて、お金を玄関に置き、そのまま2階に行こうと。
一段一段、座りながら、手すりを握り、手の力で上がりました。
自分の部屋までは座ったまま手の力で移動。
この時までは手が動いてました。
二段ベッドの一階部分にはローリングでゴロンとなんとか横になりました。
そして、大声で「なんかおかしいけん、寝とく!」と叫び落ちるように寝ました。
それからの記憶がなく、気づけば.夜中の1時過ぎ。
中1で失禁・・・
夜中にトイレに行きたくなりボーッとしたまま壁づたいにトイレへ
途中で「足が進まない」とベッドに戻ろうとした瞬間、ドカドカどてーん!と腰から崩れ落ちた。
もう立てない・・・
なんかあったかい・・・
濡れてる・・・
それだけで泣けてきた。
中学にもなって。。。
もう、出てる感覚もなかった。。。
物音で来てくれた兄と母がベッドまで運んでくれた。
下着のパンツとズボンを履かせてもらった。
(この時の記憶はうっすらでよく覚えてない)
最初の絶望
次の日の31日は、正月の準備で家中のみんなが忙しい。
朝と夕方のご飯の時だけ起こされた。
けど、すぐに眠ってしまった。
1日の元旦は、父が怒りながら
「正月ぐらいちゃんと起きろ!いつまで寝とるとや!」と
叩き起こしてきた。
「きついなら1階で寝とけっ!」
「からだが動かない・・・」
声が出しにくくなって、ボソボソと言ったもんだから、
「なんてや?あぁ?聞こえんったい!」
と言いつつおんぶで1階に運んでくれた。
自分でもだめかもしれないと思い。
お盆を持って戻ってきた母に
「たすけて。きゅうきゅうしゃよんで・・・」と
しかし、母から鬼のような言葉が・・・
「はぁ?今忙しいとよ!病院も開いとらん!寝ときなさい!」
その一瞬、殺意を覚えた
ただ、もうそれどころじゃない。
もう自力で!!!
『あれ?手も動かないや・・・』
人生で初めて”絶望”を味わい”死”覚悟しました。
・
・
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私を病院に連れてって。。。
3dman_eu
「おいっ!起きろって!」
1日の夕方、肩をガックンガックンなるまで揺らされて、起きました。
「あんた白目向いて寝とったとよ!笑」
一同、大笑い。
悲しくなって、また泣いた。
本気で助けて欲しいのに、普通に笑われる。皆が悪魔に見えた。
「・・・」
しばらく無言が続いて、祖母が突然、ビックリするような事を言い出した・・・
俺、呪われてるの?
jackmac34
「この子は呪われとるっ!だから白目を・・・早くお寺に行きなさい!」
二度目の殺意と絶望。
(↑最近、友だちに話した所、大爆笑!笑
「孫が死にかけてるのに寺に?」ホントです・・・)
そして、車に乗せられ、本当にお寺へ連行された。
お寺に着くと父と兄に担がれ階段を上がって、畳の部屋に通された。
一人、畳の部屋に横たわって待っていると・・・
女性の住職さんが、バーン!と勢いよくふすまを開け、「おまえは何がしたいんだーっ!!」と怒鳴ってきた。
もうこの人しかいないと声を出そうとしても出ない。
そういえば、さっきから視界も狭い。。。
2度目の「何がしたいんだ?」でやっと
「びょう・・・いん・・・に・・・つれ」と言い終わる前に
立ち上がり、さっきより大きな声で
「バカたれがぁーーーーーー!!!」
最後の言葉は、私にではなく私の両親に向けた言葉でした。
「子どもを死なせるきかぁー!!!お寺では死なせてはならん!」
「はよ救急車を呼びなさいっっ!!」
安心すると眠くなってきた。
あれ?死んじゃった。
気が付けば、自宅の玄関前で救急車を待っていました。
でも、もう息もしづらくなってきた。
しばらくして、救急車が到着し乗せられた。
その救急隊員の一人が幼馴染のお父さんだった。
しかし、こうなった原因が分からない。どこの病院も引き受けてくれず、救急隊の人はどこかに停まって電話をかけまくっている。
と、一瞬にして”死”の実感が沸いて、だんだん周りが真っ暗になった。
そう、私は救急車の中で一度死んだようです。
「一度死んだ」と教えてもらったのは退院してからのこと。
すぐに”あの時”って分かりました。
古いテレビを消す時みたいに暗闇にのまれる感じ。
よく、三途の川がどうとかって言うけど、ただの真っ暗な闇でした。
どの位経ったのかは分かりませんが、バッ!っと現実世界に戻った感じになり、ちょうど、ストレッチャーに乗ったまま病院の自動ドアを猛スピードでくぐる所でした。
本能的に死を実感したのか、目が覚めた瞬間から体をバッタンバッタンさせ”最後の悪あがき”かのように暴れ、言葉じゃない言葉を叫ぶ。
これは本当に自分でコントロールが出来ませんでした。
そして、次に気が付いたのは12月の終わりか1月の初め。
すぐにバレンタインデーがきたのを覚えてる。
そこからが地獄のはじまりでした。。。